2013年12月19日木曜日

小学校創校140周年記念式で演奏

小学校創校140周年記念式で演奏

 地元新湊へは5年前より富山県曳山囃子大競演会で毎年呼んでいただき、地元の小学校の曳山クラブの生徒さんとバンジョーでコラボレーションして私のルーツでもある曳山囃子を一緒に演奏したり、子供達にはバンジョーにもチャレンジして貰い校歌を一緒に弾き語りしています。
 そのようなこともあり、先日母校の新湊小学校の創校140周年にお招きいただきバンジョーの演奏を披露いたしました。
創校は明治6年1873年、新湊町川東三番小学校として、地元での大笠松の有る名称の専念寺の中に設置されました。東京芸大の創立者の伊沢修二が海外の賛美歌の日本の詩をミックスして創刊した小学校唱歌集が出版されるのは1881年、創校よりまだ8年も先のことです。
文明開化の明治とはいえ、専念寺での小学校はまだ寺子屋のようなものであったと推測します。音楽も西洋音楽が学校教育にとり入れられる随分前のことですから、手あそび唄や、数え歌のような2から3音階の調のはっきりしないものではなかったかと思います。そこで思い出したのですが、新湊では故人のお葬式の骨あげ式を子供たちが近所にふれて廻る習慣があり、その時子供たちが集まって歌う唄が有るのです。

「○町(故人町内)の●●(故人宅の苗字)、おこ(お講)やけで(だから)まんにきて(お参り来て)くだはれと♪(来てくださいよ)」

そして、お坊さんがいらっしゃると

「○町(故人町内)の●●(故人宅の苗字)、ごぼはん(お坊さん)いらはったけで(来られたので)まんにきて(お参り来て)くだはれと♪(来てくださいよ)」

子供たちは廻って帰ってくるとご褒美にお菓子を貰うんです。子供の頃の懐かしい思い出の一つです。都会では隣の方が亡くなっても気がつかないという事が少なくない中、近所付き合いを大事にした、先人たちが残した素晴らしい風習の一つです。でも残念ながら今では過疎が進み、近所付き合いも少なくなり、このような風習もなくなりつつあるようです。

 式典の当日、子供達は緊張の面持ちで式典を迎え、校長先生、来賓の方、曳山クラブの演奏、ここの小学校に100年続いているお囃子体操(37年ぶりに見て感動しました。)と素晴らしいスピーチと伝統的な演奏、体操が続きいよいよ私の出番です。
ジョン万次郎も開国前にアメリカで聞いた「おおスザンナ」小学校の運動会のダンスできいた「オクラホマミキサー(藁の中の七面鳥)」、「大きな古時計」、オリジナルと新湊曳山囃子の代表曲「紫~弥栄」をお話を交えメドレーで約20分演奏しました。
最初はカチカチに緊張していた子供達が徐々に子供らしい笑顔に変わっていくのが壇上からでも分かりました。子供たちから感想文戴きました。(許可をいただき一部掲載させていただきます。)

 「原さんのバンジョーは、9月1日の曳山囃子競演会で初めて聴きました。
今日は近くで見れたし、音に合わせた振り付けもありました。バンジョーは
音の響きがきれいなのでとても良かったです。またお会いする機会が有れば、
ぜひ聴きたいです。」

 「いろいろな音の組み合わせできれいな音で、ゆったりとじっくりと聴けました。
自然な音、なめらかな和音で、とてもとても魅力的でした。もっと弾いてほしかっ
たくらいです。」

 「いろいろな音が出せるんだなと思いました。たたいて太鼓のような音が混ざっ
ていたことで、ソロで奏でているとは思えないくらいすごかったです。そして、すご
く楽しかったです。」

 「初めて聴いたときは三味線に似ているなと思いました。原さんがバンジョーを
弾いているとき、すごく楽しそうで、私も弾いてみたいと思いました。」

 「バンジョーを聴くのは初めてだったので、わくわくしていました。音色は楽しげな
曲にあっていて、原さんもおもしろく楽しい人だったので、すごく楽しめまし
た。また、聴いてみたいです。」

  等など皆さんメッセージ本当にありがとうございます。

 小学校時代に同じクラスだった同級生が現在この学校の先生をして約37年ぶりに再会しました。
懐かしく嬉しく思いました。校長先生をはじめ皆さんに大変お世話になり、私のバンジョー人生で又忘れられない思い出ができました。
 ありがとうございました。


2013年12月
原 さとし